【娘との関係修復⑤】自分の課題に向き合う

以前の記事に続く

娘と私の関係の課題に気づく前、

笑わなくなった娘は、

能面のような表情で感情を全く見せず、

服にも、食べ物にも興味を示さない。

作り置きしたお昼ご飯は、

手をつけないまま放置され、

伸ばしっぱなしの前髪で顔を隠しながら独り言を言う。

落ち着かなくなると、家の中を歩き回り、空想の世界を旅しては一人で笑っていた。

娘に何が起きているのか、どうしたらいいのかわからず、

精神科の先生に診てもらったこともあるけれど、前髪からわずかに見える眼光で、ただ先生を睨みつけるだけだった。

友人達には発達障害や

アスペルガーじゃないかと言われ、診断を勧められることもあったけれど、それはなんか違うと思った。

学校に行かないという選択に至るまで、普通に見えていた娘が、

不登校をきっかけに、徐々に豹変し、学校に戻そうとする私の働きかけが増えるたびに、さらに悪化していく。

あの日の娘は身体を壊すことで、

言葉にならない反抗を私に表現していたのだと思う。

娘と本音を語り合った8ヶ月間の夜散歩が、私の本当の姿を映し出し、私を変えるきっかけを作ってくれた。

課題は娘でなく私。

なのに、私には何が課題なのかがまだわかっていない。

ここから始まった心の学び。

自己探求という世界で、

自分の人生で起こって来た様々な出来事が紐解かれていく。

娘を変えようとする意識は変わり、

私から発していた威圧的なエネルギー、

常識をかざし、自分もできていないことを娘に求めていた私は小さく身を潜めた。

私が私に気づくたびに、

それと同時進行するかのように娘は徐々に回復していった。

あの日から、12年が経ち、

今、娘は働きながら、

美味しそうな食べ物の話をし、会社の愚痴を言い、好きな音楽について語り、個性的なファッションが好きだと言いながら、大声で笑っている。

その笑顔の可愛さと言ったらない。

あの出来事がなかったら、

今頃、私はどんな人生を歩んでいたかわからない。

一番辛かった時は

同情も慰めもいらなかった。

共感などされても、あなたに何がわかる!と、

それ以上話す気などなれなくなった。

その時私がほしかったのは、

ただ、自分に何が必要なのか、道筋を教えて欲しかった。

だけど、今なら、わかる。

解決策に近道などない。

それほど、

自分という人間は、他人以上にわからない存在なのだ。

人生何があるかわからないけれど、

もがき、苦しむ出来事が起こった時、

そこから逃げず、自分の課題に向き合うこと。

そのトンネルは暗く長いと感じるかもしれない。

それでも、

その先に見える世界、

肩の力を抜き、素のままの自分を生きるということがどうゆうことなのか

【自分を見る】という心の探求を通して、一人でも多くの人に体験してほしいと思っている。