次の日、朝一番に「印鑑と身分証明書を忘れずに」と彼女からのメッセージ。
9時には家に来てくれて、戸籍を集める一日が始まった。
とにかく、彼女は昔からしっかり者。
そして、私は昔から割と(そうとう)抜けてるという(多少)自覚がある。
きっと、ご先祖様が私一人では、いろいろ抜け落ちそうだと
心配になって彼女を呼び寄せてくれたのかも。。。
そんなことを考えながら、
今、私の家系を辿る旅に彼女と一緒にいることが、
なんだか、とても不思議だった。
彼女の名前は節子(実名本人了承済)。
出会いは小学校4年生、3つの学校が統合して、同じ学校に通うようになって、
その時は別のクラスだったように思う。その記憶はもう曖昧。
中学、高校は、同じクラスで、
彼女は吹奏楽部でフルート、私は器械体操部で、二人とも部活に夢中。
高校卒業後は、二人とも東京にでて、
私は編集デザインの勉強、彼女は栄養士を目指した。
同じ東京にいてもほとんど会わず、
彼女はその後、一度東京で働きはじめたけど、数年後には田舎に帰り役場に就職。
近すぎず離れすぎずの関係で、田舎に帰るとたまにご飯を食べて、
あの頃と変わらない会話をした。
本当に縁とは不思議なもの。
特別、繋がろうとしていなくても、縁がある人にはこうして
最適なタイミングで交わりあうことになっているのかもしれない。
遡れるまで全部
さて、家を出発して数分後には一つ目の役場に到着し、戸籍部門へ行くと、
担当してくれたのは、小学校の同級生の妹さん。
「お久しぶりです」と挨拶していると、
そこでも、節子は、テキパキと指示をしてくれて、
私はただ「はい。それで、お願いします」と言って隣で見てた。
どうやら、家系図を作りたい人は、
「家系図を作りたいので、戸籍を遡れるまで全部お願いします」と伝えればいいらしい。
そういえば、新人さんでない限りわかると言っていた。
因みに、私は実家に本籍がないので、
戸籍を出すごとに1部750円が必要になる。
今日は父方、母方両方の4家系の戸籍を集める予定だから、何部になるかは想像できない。
「全部集めるのは結構費用もかかるかもよ」と言われたけれど、それももう承知済。
最初の役場では、私の家族の戸籍抄本を受け取り、
父の本籍、そして、母の本籍があった役場へと移動する。
節子は、出力されてきた書類を見て、
すでにルートを考えていたようで、
「正枝、次の市役所にいくよ」
「あっ、うん、わかった」
ほんとその姿は神様に見えた。
母方の役場
次は母の本籍があった市役所。
担当として出てきた女性は、
「遡れるまで全部お願いします」と言うと、キョトンとして、
早速作業に取り掛かったけれど、探すのが大変なようで、周りの人に何度も聞きながらパソコンの前で葛藤している様子。
「彼女はまだ慣れてなさそうだね。
戸籍を遡るには、どう戸籍が紐づけられているのか知らないと大変なんだよ」
節子はそう言いながら担当した女性の様子を見守っていた。
そして、出てきたいくつかの戸籍を、ひとつずつ確認しながら、
「これとこれの間にもう一部あるはずだから探してみてね」と指示してくれて、
その日の私は、彼女に頼りっぱなし。
朝から「うん」「わかった」「そうなんだ」「ありがとう」
この4つくらいしか言ってない気がする。
そして、30分ほどかかって揃った母方の戸籍を渡され、
少し緊張しながら目を通してみると、
クセのある筆文字でギッシリ書き込まれた縦書き文章が目に飛び込んできた。
ここからの家系図作成はかなり時間がかかりそうだなとというのが正直な感想。
それでも、彼女が一緒に来てくれて、1日で取りこぼしなく集められていることは本当に幸運だった。
父方の役場
次に向かった父方の市役所は、車で40分程で到着して、ここでも同様に遡れるまでの戸籍の依頼と、
もう一つ、
私は好美叔母ちゃんの住んでいた千葉の住所を知る方法があるかを尋ねてみたかった。
節子に聞いたら、叔母は直径で繋がっている人じゃないからダメだと思うけど、一応聞いてみたら?と言われ、
事情を話し、担当の人に聞いてみると、やはり、私は直系でないためできないらしい。。。
昨日会った実の姉であったとしても、もう寺島家をでて別の戸籍にいる人は、取得することはできず、
戸籍の附票を出したければ、直接血の繋がった親の委任状が必要なのだそうだ。
だけどそれはもう無理な話。祖母も祖父もすでに他界している。
その後も戸籍の件でいろいろ訪ね、担当の方と話している間に、
彼女は父方の書類を見ていてくれて、
「正枝、お父さんの母親の本籍がさっきの市役所にあったみたい、もう一度戻る必要がありそう。
でも、その前にどこかでご飯でも食べない?」
そう言われて時計を見ると、もうお昼過ぎ。
朝からずっと移動つづき、私は戸籍収集に頭がいっぱいでご飯を食べることをすっかり忘れていた。
偶然の再会
もとの市役所に戻る途中、レストランに入り、
個室の様に区切られているソファに座っていると
背中越しに男性たちの大きな声が聞こえてきて、少し気になったけれど、
そこでは、昔の戸籍の見方を教えてもらいながらご飯を食べた。
数字が見慣れない漢字で書かれていて、生年月日さえも満足に読めない。
もう古文書を解読している気分になって、
「無理~、読めそうにない」そういう私に
節子は「昔の数字は調べればわかるから、そのうち慣れるよ」と笑っていた。
ご飯が食べ終わるころ、さっきまで背中合わせに座っていた男性達も食事を終え、
私たちの横を通り過ぎていく
「んっ?、、、」
見覚えのある姿。
「あっ、いとこだ」
すぐに後を追いかけて、名前をよんだ。
彼も私の姿を見て驚き、「正枝、こんなところで何してる」
「あっ、うん、ちょっと用事があって帰ってきてるの」
彼は父の兄の長男。
実はさっき車で移動中、彼のお母さんと電話で話をしたばかり。
これもまた偶然の再会。
何か彼と話す必要があるのかなと思ったけれど、友人たちと一緒にいるのを見て、この日は何も聞かずにそのまま別れた。
一日の終わりに
再び戻った市役所で、最後となる戸籍も入手し終えて、
これで家系図に必要な書類は全部揃ったことになる。
最終的に、戸籍15部、費用は×750円=11,250円+東京から持っていった戸籍抄本1部450円で合計は11,700円。
全て揃った書類を手にあとは家に戻るだけ。
車に乗り込み、今日一日のことを振り返りながら、
「これ一人で、まして一日では無理だったわ。節子のお陰。本当にありがとう」
そう伝えると、車を運転しながら、
「全部揃ったし、お茶でもしようか?
私のお気に入りの喫茶があるんだけどそこに行かない?」と提案され、
「そうだね。一休みしよ」と、場所はお任せした。
そして、向かった場所。
到着して、建物の中に入ると、すぐに左側横に資料館が見えて、
【ここは製糸工場の跡地】と書かれた大きなボードに気付いた。
そして、飾られていた看板には「カネボウ絹糸京美人株式会社」。
「あれっ。。。」聞き覚えがある。。。
ここは、母と昨日会った叔母が初めて出会った職場だ。
すぐに気づいて
「・・・節子、ここ母が結婚する前に勤めていた職場だよ。驚いた」
「えっ、そうなんだ。私の叔母さんもここで働いていたんだよ」
話をしながら、2階にある喫茶店に向かおうとしたけど、
私はなんだか、やっぱり気になって、
「先に行ってて」そう言って引き返し、資料館の方へ戻っていった。
そこは12畳ほどの小さな部屋で、当時使用していた機械や絹糸、壁には昔の資料が飾られていて、
それを一つ一つ眺めていたら、まさに母が働いていた頃の写真を見つけ、セピア色になっていたけれど、母の時代、母の青春を感じることができた。


何分くらいいただろう、資料館をでて喫茶店に行くと、ゆったりとした空間がひろがっていて、中央にあった大きなテーブルに彼女は座っていた。
「ゆっくり見れた?」
「うん、今日の最後に母のいた職場。なんか不思議」そう言うと、
「今日は丸一日家系を辿る旅だったね、
正枝はお盆に生まれてるでしょ?そうゆう役目を背負っているんだと思うよ」
そう言いながら、
今日受け取った戸籍を、見やすい順番に並び替えてくれて、
「あとは頑張ってね」と笑っていた。


こうして、友人との戸籍収集の一日は終わった。
でもね、文章にしてみて改めて思う。
戸籍が一日で全部揃ったのも、
いとこと偶然再会したレストランも
そして最後の母の面影を感じた喫茶店も
これ、全て彼女の導きがあってこそ。
私はといえば、「うん」「わかった」「そうなんだ」「ありがとう」と連呼していただけ。
やっぱりこの日の節子は神がかっていたと今でも思う。
さて、次回は
文字の解読、本格的に家系図にとりかかる話に続きます。