12年前、娘が中学一年生。
ある日突然、本当に、私にとって晴天の霹靂とも思えるほど突然、娘は無気力な人間になった。
その日から始まった不登校。
そこから私が課題に気づくまで、葛藤の2年間が始まった。
何が何だかわからなくて、思いつくものは全て、ありとあらゆる手を尽くした。
いいカウンセラー、いい先生に出逢えば、回復してくれるはず、
心の内を話せる人がいれば心が軽くなるはず。
旅行で気が晴れれば、しばらく自由にさせれば、、、、趣味を見つければ、、、
私はといえば、月々かかる費用を稼ぐために、さらに、働がなければという状態におちいり、一向に回復しない娘に、またイライラして….
その間、娘は何度も泣き叫びながら、言葉にならない思いを私に投げかけてきた。
それでも、私は立ち止まれず、
いつか、誰かが、何かのきっかけがあれば、娘は元気を取り戻してくれるはず、
そんな思いだった。
今考えると、自分でも呆れるくらいの悪循環。
そんなある日、夜中に娘が倒れて救急車に運ばれる出来事があった。
診察室のベッドで点滴している娘。
私は側にいてあげる気力もなく、暗い待合室で一人座っていた。
その姿を見て、診察に当たってくれた小児科医の先生が話しかけてきて、
ただ隣に座り、何気ない会話をした。
力なく「先生、すみません」
そう言うと、
「夜中に運ばれてくる子供たちは大抵、精神的なもの。親子関係に問題がある場合が多いんですよ。親と子供、お互いが好きなのに求めていることが違うのかもしれませんね。」
とても穏やかに、私を非難するでもなく、
「また、具合が悪いと言ったら、いつでもいらしてください。その為に私たちがいるんですから」
その言葉の暖かさ、
涙が溢れ、
身体中の力が抜けていく思いだった。
それまで、誰にも頼れないと思ってた。自分で解決しないといけないと思ってた。
だけど、親子間の問題を、外部の人にばかり頼っていた自分にも気づいた瞬間だった。
娘が必要としていたものは、カウンセラーでもメンタルフレンドでもなく、
私なのかもしれない。
その時、
全ての動きをやめて、立ち止まってみようと思った。
ここから、娘との関係修復が始まった。
次回に続きます。