【家系図】家系を辿る旅 Vol.7~届いた手紙~

昨年の8月から始まった家系を辿る旅は今日で一旦完結となる。

弟さんに私の住所を託せたことで、娘さんに会える可能性がでてきた。

23年前聞いた父の話から、初めて知った「いとこ」の存在。

好美叔母ちゃんが結婚していた期間から見て、彼女はたぶん私と同じくらいの年齢だということもわかっている。

「会えたら。。。」

それを考えると、なんだか不思議で、ずっと探していたもの、欠けていた何かがそろうような感覚がしてた。

そして、その答えは富士宮から帰ってきて2日目の夜に届くことになる。

ポストに一通の手紙、
裏面には娘さんの名前が書かれていた。

その名前を見たら
早く読みたいという気持ちと、開けたくない気持ちが同時に湧いてきた。

そう思ったのは、

住所が書かれていない封筒は、
私が思うような内容ではないことを物語っていたから。

現実

部屋に入り、封筒を開けてみると、

叔父から届いた、私からの連絡にとても動揺したという内容に始まり、
そこには、私が想像もしていなかった事実が書かれていた。

それは、
物心ついた時には、すでに母(好美叔母ちゃん)は家にはおらず、
今まで一度も母と呼んだことがないという事。

葬儀については、知り合いから連絡が入り、参列はしたものの、そこで初めてその女性(母)と親族に会ったと。

手紙を読みながら、

父が言っていた
葬儀で「娘さんは何もしようとしなかった」という意味がようやくここでわかった。

好美叔母ちゃんは、娘を残して家を出て行ったんだ。。。

初めて知る事実、

自分を置いて出て行った女性、その後一度も会ったことのない人の葬儀に参列する。
私ならどうしただろう。。。そう思うといたたまれない気持ちになった。

そして、そんな親族の私に会いたいなどと思うはずもなく、

結局、半年以上かけた家系を辿る旅は

彼女の「今は幸せに暮らすことができている」という言葉と、「今後連絡をとることはない」というはっきりとした意思表示で終わりを迎えた。

好美叔母ちゃんの人生

好美叔母ちゃんがあれほど、親族に近づかなかった理由も、
どこで暮らし、どんな思いで生きてきたのかも、結局私は何も知ることができなかった。

親族の誰にも理解されなかった好美叔母ちゃんの人生。

そして、娘さんに一度も会うことなく、ひっそりとこの世を去っていったように見える好美叔母ちゃんの人生を思うと、やっぱり切なくて、手紙をもらってから数日は、ため息ばかりついていた。

私は好美叔母ちゃんの何を知りたかったんだろう。

もしかしたら、父が言っていた、わがままで自分勝手でダメな女というイメージを自分の姿に重ね、その呪縛を払拭したかったのかも。だから「そんな女性ではない」と思える証拠を一つでもいいから見つけたかったのかものかもしれない。

私も好美叔母ちゃんと同じ、26歳で結婚し、
その後、離婚をしている。そして今娘と二人暮らし。

形は違えど、やっぱり父が言ったように、私と好美叔母ちゃんはどこか似ている。

だから、好美叔母ちゃんの人生を辿る間ずっと、私は彼女の人生の中に自分自身の姿を見出し、忘れていたはずの後悔や罪悪感に触れ、その度に「私はどうしたいのか」と、自答自問を繰り返していた。

【後悔】と【罪悪感】

人生の中でしてしまった過ち。

自分がしてきた行動の代償の大きさに気付いたとしても、過去に戻れるわけではないのに、

変えることのできないことにずっとエネルギーを与え続けている。

私は、過去にひっぱられ、あきらめながらも、どこかで誰かに救ってほしいと、
自分の幸せを他人にゆだねていたこと、自分の人生に責任を持っていないことにも気付き、

もうここで終わりにしよう。

娘さんからの手紙をきっかけに、ようやく執着を手放す決心がついた。

知ることの大切さ

富士宮へいってから半年が過ぎて思う。

家系を知る事は自分自身を知ることだと。

家系の中に潜んでいた負の感情を感じることで、
自分の感情も、祖先の感情も少しずつ紐解かれ、そのたびに地に足がついていったように思う。

この旅のきっかけを作ってくれた
私と同じ漢字を使った2人の「枝」の女の子、

子供のころから、気になっていた好美おばちゃん

そして、戸籍を読み解くことで知った
幼くして亡くなっていた祖父の兄弟たち、
お墓に記載のない子供達や、養子となっていった女性達、
家をつなぐことを背負った男性達、

私の父や母、祖父、祖母はもちろん、祖先達は、負の感情を伝えるために生きてきたわけではなく、家族のためにそれぞれの時代を懸命に生きてきた。

戸籍上で出会った方々とは、もう直接会うことはできないけれど、沢山の犠牲を生みながら、私たちに命をつないできてくれたことを教えてくれた。

戸籍を辿ったことで、学校の教科書では知ることができなかった日本の歴史も沢山学んだ。

そして、その中に、両親、祖父母が過ごしてきた日々を垣間見て、

父と母が、どんな思いで、私たちを育ててくれたかが理解できたように思う。

ドラマのような愛し方ではないけれど、充分に私たちを大切に育ててくれていたことに気づけたら、

感謝の思いが溢れてきて、足りないものばかりに意識を向けていた自分の姿が恥ずかしくて、そして、申し訳なくて、

泣きながら「ありがとう」「ありがとう」「何もわかってなくてごめんね」と心の中で繰り返す日々だった。

この言葉を、
生きている時に伝えたかったし、

なぜ、もっと両親のことを知ろうとしなかったのだろうと今更ながら思う。

母は、空襲で

「飛行機で機関銃を撃ってきた人の顔もはっきり見えた」と口にした事があったのに。。。

そして、父には、青春時代の写真が一枚もない事を知りながらも、気にも留めず、

私は、あまりに両親の人生に無関心だった。

家系の旅がもたらしたもの

偶然が重なり合い、今考えても不思議な旅。見えない彼らの導きを感じたこの半年間、

沢山の友人たちにも助けれらながら、思うままに行動して、様々な感情に触れた。

この旅が私にもたらしてくれたもの。

それは、私という存在の大切さ、命の尊さを、祖先の命を通して感じられたことだと思う。

不思議に、私の中に、今までとは違う確かな力を感じている。

その温かい力強さを感じながら、

私は、私を信じて生きていこう。

家系の旅を終えた今
心は静まり返り、なんだかとてもスッキリしている。