太平洋戦争、フィリピンのルソン島から届いた軍事郵便葉書

母が大切に保管していた兄からの軍事郵便葉書。

小学校の頃一度見せてもらった記憶があって

家系図サポートを始めてから、もう一度見たくなってずっと探していた。

それを、50年ぶりとなる今年、兄の探し物を手伝っていて偶然見つけることができた。

叔父は1945年4月28日、時刻不明北部ルソン島(フィリピン)で戦死と戸籍に書かれている。

23歳という若さだった。

ルソン島での戦いは、
多くの方が飢えとマラリア、赤痢などの病で命を落としたそうだ。

終戦の4ヶ月前、
叔父は何を、誰を思って亡くなっていったのか。

葉書に消印はなく、19年,831着の手書き文字

葉書はたぶん昭和19年(1944年)8月に届いたもの。

ちょうど終戦の1年前だ。

書かれている内容は家族への思いとルソン島での様子。その文面もきれいな手書き文字もとてもあたたかくて、

会ったこともない叔父だけれど、その優しさが伝わってくるようで、

母が兄をとても慕っていたのもわかる気がした。

いくつもの検問を通して届けられた軍事郵便。

本当は、もっと伝えたいことがあっただろう。。。

軍事郵便について

軍事郵便は、戦地にいる兵士と故国の家族や知人など、双方を結ぶ唯一のコミュニケーション手段。

原則として戦地の兵士から自国へは無料、自国から兵士宛ては正規料金が必要だった。

書き方についてのマニュアル本も多数刊行されており、日中戦争や太平洋戦争時にも億単位の郵便が交わされ、1937年〜1941年の平均は4億通(1942年以降は記録なし)、内地から戦地への配達は、軍用船によって現地の野戦郵便局に届き、その後各部隊の郵便受領者が受け取り各宛人に渡される。その期間約7日〜10日(戦地の場所、状況による)。

この制度は1945年の敗戦まで続き、手紙を受け取る側は、送り出した兵士の生存を確認する“命の便り”でもあった。
(Yahoo 未来に残す戦争の記録より)

家系図作成に込めている思い

家系図作成は、こうした一人ひとり違う命の物語が見えてくる。

その中で、家系を通した自分という存在の尊さを巨視的な視点で感じることができる。

その体験は、思っている以上に感慨深く、

先祖が繋げてきてくれたこの日本という国を

今を生きる私達が、どうして行きたいかを共に考える機会にしたいと思っている。

皆様のご参加、心よりお待ちしております。

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家系図作成の為の戸籍取得方法